【読書貯金①】「できる人」はどこがちがうのか 斎藤孝
プロローグ
親が子どもに伝えるべきものは「上達の普遍的な論理」だと思う。
どこの社会に行っても、そこで上達の筋道を見通してやっていくことができる力。
「上達の普遍的な論理」
基礎的な三つの力を技にして活用しながら自分のスタイルを作り上げていくこと。
・まねる(盗む)ー からだ次元 ー 身体的想像力を鍛える 技化の意識
・段取り力 ー 活動次元 ー 生活での活動 場をつくる力 動けるからだづくり
・コメント力(要約力・質問力を含む)ー ことば次元 ー 母国語能力を鍛える
あこがれ根底にあれば、上達の意欲は湧き続ける。
「あこがれ」や「志」のスケールが器の大きさだとも言える。
私たちは、何かを完全に理解してからあこがれるのではない。その何かに強いベクトルを感じて、それに反応するのである。自分が何に驚き、何に引かれたのかがわかるのは、むしろ上達を続けていくプロセスにおいてである。
第一章 子どもに伝える〈三つの力〉
†〈まねる(盗む)力〉
強い確信を持って自分の実践の中心に置くことができているかどうか。これが勝負の分かれ目なのである。
†あるプロ野球選手の着想
アドバイスの価値はアドバイスを受け止める側の「技を盗む意識」に大きくかかっている。
〈技を盗む力〉は、「技を盗もうとする意識」によって向上するものである。単なる「まねる」ことと「盗む」ことの違いは、ここにある。
†技を盗むための前提
もったいない話のようだが、質問をすること自体にさえ一定の水準が必要なのだ。質問する力、つまり、〈質問力〉というものがあるのだ。
自分よりも未熟な者からでも学ぶ力を持つ物は、その集団内でトップに立った後も伸びる。貪欲に技を盗もうとする姿勢で他社を見続けてきた眼力は、コーチになったときにいっそう生きてくる。それぞれの選手のもっている技に目がいくので、自分のやり方だけを押し付ける視野の狭さから逃れることができる。
†「技を盗む力」と模倣との違い
暗黙知と形式知の循環するサイクルを作ることが、知識を創造していく上での最大のポイントだという。
「身体的で本能的なレベルで知識(暗黙知)を持っていなければ、迅速にかつ高度なパフォーマンスを発揮することはできません。ただし、こうした知識を得たり、伝えるには時間がかかります。そこでは、マニュアルなど(形式知)が意味を持ってくる」ということになる
身体知を形式知にするうえで重要なのは、言語である。
†「重みづけ」を意識する
要約の基本は、肝心なものを残し、そのほかは思い切って「捨てる」ことにある。
捨てると言っても、まったく無意味にしてしまうわけではなく、切り捨てたものが、残されているものに何らかの形で含まれているような関係を保つのがベストである。
要約力とは、すなわち「重みづけ」を常に意識することである。
第二章 スポーツが脳をきたえる
†〈技化〉のコツ
ある動きをいつでも使えるような技にすることを〈技化〉と呼ぶことにする。技化は反復練習によってなされる。通常、技の会得には一万回から二万回の反復が必要だとされている。最も重要な箇所をまた選び抜いて、そこを集中的に反復練習する。これが技化のコツである。
相手に「これは話すに足るやつだ」という感触をもってもらわなければ、いい話はできないということだ。そして、情熱の質と実力は、なされる質問の質ではかられることが多い。
†指導者の〈コメント力〉
癖を直したときに長所までも消してしまうことがよくある。優れた指導者には、癖を技に替える、すなわち〈癖の技化〉という観点も必要である。
「何をどう変えるべきか」を暗示できるのもアドバイザーの重要な能力ではある。しかし一方で、変えなくてもいいもの、変えてはいけないものを教えてくれる存在も、大変に貴重だ。
†世阿弥の「離見の見」
上達という点から見て重要なのは、主観的に感じられるものと外側から見られるものとの「すり合わせ」である。
笑わせるコツは、「間」だと言われている。話の内容は面白いのに笑いがとれない人たちと、内容はそれほどでもないのに「間」の取り方がうまいので大きなウケを得る人がいる。この「間」は、自分と他者の間の「間合い」であると同時に、「息の間」でもある。
話している主体としての自分と、それをできるだけ外側から客観的に捉えた自分との間のズレを、上手に修正する技術である。
†技とイマジネーション
「目を前に見て、心を後ろに置け」という表現は、身体感覚を含んでいる。自分本位で独りよがりで事を行っているときには、意識は前にるんのめりがちになる。そんなときに一息「間」を入れて、大きく息を吸ってゆったりと息を吐き出す。すると、意識がすーっと醒めて、心が後ろに置かれる感覚を味わうことができる。
第三章 ”あこがれ”にあこがれる
†自分流の変形
「自分はいまなんのためにやっているのか」ということについての、正確な認識力を育てることが上達の秘訣である。
第六章 村上春樹のスタイルづくり
†集中に「入るシステム」をつくる
気力・体力と経験のバランスがとれた年代が、いわゆる脂の乗り切った盛の時期ということになる。一生こうした高い集中力を得ようとすれば、特別な工夫が必要となる。こうした集中に入ることを偶然的な出来事ではなく〈技化〉する必要が生まれる。
「スーパーナチュラルな状態になるためには、毎日毎日せっせと上り下りしないといけない。」あまりにも合理的で効率重視だと味気ないかもしれないが、上達し続け自分のスタイルを作り上げ、長時間仕事をしていくとなれば、こうした工夫は必要である。
工夫の結果生み出されてくるものは、味気ないどころかワクワクしたものになっている。
†自分の得意技を仕上げる
本を読むという行為は、幅を広げるのに適した訓練である。本は元来その著者の思考の流れにより沿い、そこに身を任せて従うことを、基本的な構えとして要求している。つまり、〈積極的受動性〉の構えが、読書の基本である。
あとがき
人は一般的に何かに上達しているという充実感を持っているときには、むかついたりキレたりしにくい、と考えるからだ。上達へのあこがれと確信を持って生活しているときには、エネルギーはうまく循環している。鬱屈したエネルギーが爆発してしまうのが、ムカつく、キレるだとすれば、上達の普遍的な論理を技にし得た人はそこから抜け出しやすい。